銀座周辺の年間イベント情報
   注: 新型コロナ感染拡大防止のため、主な行事が中止となっております。
 時期  行  事  内    容
 1月 初売り  ■ 新年の初売り・バーゲンセールが、各デパート、ブランドショップ、
 有名店で開催されます。
■ 銀座駐車場のおすすめ
  銀座駐車場の駐車料金の割引サービスのある店舗については、ご利用案内
 をごらんください。
  駐車場の近くにある各地のアンテナショップの福袋もお勧めです。
 1月   箱根駅伝
(東京箱根間往復
大学駅伝競走)
■ 例年1月2日(往路)と翌3日(復路)の2日間にわたって行われます。
■ コースは、東京都千代田区大手町・読売新聞東京本社ビル前から鶴見、戸 塚、平塚、小田原の各中継所を経て神奈川県足柄下郡箱根町・芦ノ湖までの 往復です。
■ 銀座駐車場からのアクセス
  往路の日比谷通りへは、有楽町出入口から皇居方向に約450mです。
  復路の鍛冶橋通りは、銀座出入口から中央通りを約200mです。
 2月  東京マラソン ■ 東京都庁~飯田橋~日本橋~浅草~門前仲町~両国~日本橋~
  銀座~品川~日比谷~東京駅
  (銀座駐車場 銀座出入口の近くを通ります。)
 3月  桜通りの桜 ■ 桜通りの桜は八重桜で、ソメイヨシノと比べ鮮やかな紅色で、満開時は
  とても見ごたえがあります。
  銀座出入口付近もとてもきれいです。
 5月 柳まつり  ■ 主なイベント
  「交通安全 銀座ゴールデンパレード」のほか、「大道芸」、「柳の苗木
  プレゼント」、「ふるさと観光PRキャンペーン」などいろんな催しが
  あります。
■ 場所と交通規制
  西銀座通りを中心とするエリア行われます。
  各イベントによって、周辺の交通規制が実施されます。
8月 ホリデープロムナード
「ゆかたで銀ぶら」 
■ 歴史
  昭和45年8月、銀座通りの歩行者天国が始まったのを記念するイベント
■ 夏の風物詩「ゆかた」に焦点を当てた企画を用意している。
 8月  東京湾大華火祭
(休止中)
■ 場所
  晴海ふ頭公園、晴海埠頭沖合の台船から打ち上げられていいました。
■ 大きさ
  尺玉を含めた約1万2000発の華火
■ 今後の予定
  メイン会場が、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に
  伴う選手村となることから、当面中止となっております。
  現在、東京湾を舞台とした、新たな華火祭について検討が進められて
  おります。
 10月 中央区観光商業まつり   銀座、日本橋、月島、人形町、築地などなど、東京都中央区ぐるみの楽しいお祭りです。
   日本橋・京橋まつり
「大江戸活粋
パレード」
■ 歴史
  昭和47年国道開通記念として行われたパレードが始まり
  以後、「日本橋・京橋まつり」として継承され、
  現在は、中央区観光商業まつりの一環として行われている。
■ 大江戸活粋パレード(おおえどかっきパレード)
  約300人の演者が京橋3丁目~室町4丁目間の中央通りを練り歩きます。
 10月~11月  オータムギンザ ■ 歴史
  銀座恒例の秋のイベント「プロムナード銀座」が、
  平成22年から「オータムギンザ」に名称を変更した。
■ 主なイベント
  「銀茶会」をはじめ、「新富座こども歌舞伎」、「アフタヌーン・
  ギャラリーズ」、「美味しい国産農産物チャリティー頒布会」、
 「GINZA FASHION WEEK」、ダイナースクラブ 銀座レストランウィーク
  銀座八丁神社めぐり  など
 11月 中央区まるごとミュージアム  ■ 中央区の名所・旧跡・画廊・美術館・水辺など多彩な文化的魅力を
  より多くの人に体験してもらうイベント
■ 「晴海フラワーフェスティバル インフィオラータ」、
  「銀座あおぞらDEアート」など多彩なイベントが催される。
注目情報 -駐車場周辺の名所・旧跡のご案内-
 名  称  場  所  ご  説  明
 江戸歌舞伎発祥の地  京橋3丁目
 東京高速道路横
 歌舞伎は, 1603(慶長8)年に 出雲阿国が 京都で“歌舞伎踊り”をしたのが始まり とされています。
その20年後, 1624(寛永元)年に, 猿若勘三郎(初代中村勘三郎)が 江戸の中橋南地(中央通りと八重洲通りの交差点の南付近にあたる。)に 猿若座(後の中村座)を開設したのが 江戸歌舞伎の始まり。
これを記念して京橋の北詰西側に記念碑がたてられました。
碑の中央には 勘亭流の書体で「江戸歌舞伎発祥之地」とあり, 和文と英文で 碑文が書かれています。
 京橋大根河岸青物市場跡  京橋3丁目
 東京高速道路横
 寛文4年(1664年)、京橋の北詰西側に青物市場が設けられ、この市場には大根の入荷が多かったことから「京橋大根河岸市場」とも呼ばれた。
関東大震災の後、市場は野菜市場として神田や築地に移った歴史があります。
碑はそれを記念するため昭和34年(1959年)市場の関係者によって建てられたものです。
 京橋の親柱  銀座1丁目
東京高速道路横及び下
 京橋は、江戸時代の慶長8年にかけらたれたといわれています。
明治8年(1875)、木造の橋から、石造単アーチ橋へと架け替えられ、明治34年には、鉄橋となりました。
その後、大正11年(1922)、アール・デコ様式の石及びコンクリート造り、照明付きのものに掛け替えられました。
昭和38年(1963)~40年、京橋川の埋め立てに伴い、撤去されました。
現在は、橋の名残をとどめるものとして、三本の親柱が残っております。 
 橋北詰東側と南詰西側に残っている二本の親柱は、明治8年(1875)当時の石造り橋のものです。江戸時代の橋の伝統を引き継ぐ擬宝珠の形で、詩人佐々木枝陰の筆によって、「京橋」「きやうはし」とそれぞれ橋の名がくっきりと彫られいます。
 橋南詰東側に残る親柱は、大正11年(1922)に架けられた橋のものです。
明治、大正と二つの時代のものが残ることから、近代の橋のデザインの変化を知ることができる貴重な建造物として、中央区民文化財に登録されています。
 京橋記念碑  銀座1丁目11番
東京高速道路下
警察博物館の並び、銀座寄りの歩道上にある親柱の横に「京橋記念碑」がある。
【碑文】
京橋は古来より其の名著える創架乃年ハ慶長年間なるが如し明暦以降数々架換へられ大正十一年末現橋に改築せらる此の橋柱は明治八年石造に架換へられたる時の擬寶珠欄干の親柱として橋名の書ハ明治の詩人佐々木支陰乃揮毫に係るものなり
昭和十三年五月
 煉瓦銀座の碑  銀座1丁目11番
東京高速道路下
 橋南詰東側に残る親柱の横に、下のガス灯記念灯・碑とともに、煉瓦銀座の碑があります。
明治5年(1872年)の大火の後、街の不燃化が計画されて銀座煉瓦街が建設され、以後この煉瓦街と街路樹の柳は銀座の名物となった。煉瓦街も柳も街の発展とともに姿を消したが、その後煉瓦が発掘されたのを契機に昭和31年(1956年)当時のままの「フランス積み」という方式で再現し、そこに煉瓦の碑が建てられました。
 ガス灯記念灯・ガス灯の碑  銀座1丁目11番
東京高速道路下
 碑のそばには明治7年(1874年)のガス燈の実物が復元されており、
 幸稲荷神社
(さいわいいなり)
 銀座1丁目5番  銀座八丁神社めぐりの一社です。
京都の伏見稲荷神社から勧請。
江戸期から銀座一丁目の護り神であり、その昔、太刀の市がたったことから太刀売稲荷とも呼ばれる。
「商売繁昌・家内繁昌・縁結び・病気平癒」の御利益があるとされています。
 銀座柳由来の碑   銀座1丁目七番  碑には、次のとおり記されています。
「銀座の柳は明治20年(1887年)ごろ銀座通りに植えられて以来大正9年(1920年)撤去昭和6年(1931年)復活の変転を経ながら数多くの詩歌にうたわれ人々に親しまれてきた銀座のシンボルとなった柳も樹勢の衰えもあって昭和43年(1968年)歩道の大改修に当たり移植の止むなきに至った。
 いまふたたびこの通り一帯に柳を迎えて「銀座柳通り」と名づけるに際し永く銀座の柳の由来を伝えるため碑を建立する。  銀座通聯合会」
 銀座稲荷神社  銀座2丁目6番  銀座稲荷社の名称の由来は、銀座発祥の地である銀座二丁目に祀られていることからきています。
銀座稲荷の社は、始め銀座二丁目の裏通りにありましたが、戦後の昭和30年頃稲荷社の周囲の家の改築により裏通りがなくなり、当ビルの裏側の空き地に一時お祀りし、現在は越後屋ビルの落成とともにビル屋上に祀られています。(普段は、非公開です。)
 電気灯柱記念碑  銀座2丁目6番  注意:現在工事中のため見られません。 
明治15年(1882)、宣伝用の2,000燭光(2,013カンデラ)のアーク灯がこの場所に点火されたそうです。
当時はまだガス灯やランプの明るさしか知らなかったので、その明るさに人々は驚き話題となり、毎夜この電気灯柱を見るために多くの人が集まったそうです。
 銀座発祥の地  銀座2丁目7番
 ティファニー銀座ビル前の歩道
 碑には「銀座発祥の地 銀座役所跡」と刻まれており、江戸時代にこの地に銀座があったことを記念して、昭和30年(1955年)に建てられました。
  江戸時代の銀座とは貨幣の鋳造所のことで、慶長6年(1601年)に伏見に創設されたのが始まり。その後は各地に置かれたが、やがてこの地の銀座に統合された。この銀座役所では貨幣鋳造と銀地金の売買が行われ、役所は寛政12年(1800年)に蛎殻町に移転したが、銀座は地名として残ることになりました。
 龍光不動尊  銀座3丁目6番
松屋屋上
 昭和4年に松屋の念持仏として奉安しています。銀座八丁神社めぐりの一社です。
 朝日稲荷神社  銀座3丁目8番
 松屋の裏手のビル屋上
 銀座中央通りの銀座三丁目交差点にある松屋の裏手のビル屋上にあります。
銀座七福神、銀座八丁神社めぐりの一つで、御利益は商売繁盛、縁結び、家内円満です。
ビルの1階2階を吹き抜けとして神社の拝殿があります。拝殿の上の壁にはパイプがあり、パイプには土が詰められて屋上の本殿とつながっているそうです。
 銀座2000カウントダウン記念碑  銀座4丁目6番  碑には、次のとおり記されています。
「西暦2000年を迎えるにあたり記念として之を創る 2000年1月1日 2000年・銀座とし越カウントダウン実行委員会」
 真珠王記念碑  銀座4丁目5番
 ミキモト本店前
 碑には、次のとおり記されています。
「御木本幸吉翁は本年九十五歳養殖真珠の創始者で真珠王の名は全世界に及んでいる當處南北十間の地は翁の店舗の場所である
昭和二十八年四月 銀座通聯合会」
 出世地蔵尊  銀座4丁目6番
 銀座三越屋上
 明治のはじめ三十間堀から掘出されたといわれる地蔵尊で、昭和43年銀座三越新築に際して当所へ移設され、銀座八丁神社めぐりの一社です。
 宝童稲荷神社
(ほうどういなりじんじゃ)
 銀座4丁目3番   銀座八丁神社めぐりの一社です。
その昔は江戸城にあって、将軍の子息が次々と早死することを防ぐために祀られた神社で、これを勧請して当地に鎮座したとされます。健やかな子どもの成育にご利益があると伝える子育の稲荷です。
 銀恋の碑 銀座4丁目1番 
 数寄屋橋公園
 「銀恋」とは、「銀座の恋の物語」のことです。
「銀座の恋の物語」は大高ひさを作詞、鏑木創(かぶらぎ はじめ)作曲で、昭和36年、石原裕次郎と牧村旬子(まきむら じゅんこ)のデュエットで発表されました。
 「銀座の恋の物語」は爆発的にヒットし、デュエット曲のスタンダードナンバーとなりました。
 この歌碑は、平成2年7月銀座通連合会・西銀座通会・テイチク(株)によって建立されました。
 歌碑の左右には座席を設け、歌碑を挟んで記念写真が撮れるようになっています。
 「銀座の象徴 柳並木」の碑 銀座4丁目1番 
 数寄屋橋公園
 銀座の柳は明治10年頃銀座に植えられ銀座の象徴とされたが、三度の変遷を経て昭和43年銀座通りの改修と共に姿を消しました。
 西銀座通りが東京都のシンボルロードとして歩道拡張と共に御影石舗装を施し面目一新されたことを機に並木を柳に代え銀座の象徴復活を果たした。
 この柳が末長く人々に愛され親しまれ続けることを願い、西銀座連合会が数寄屋橋公園に碑を建立したものです。
関東大震災の記念燈
燈臺(とうだい) 
銀座4丁目1番 
 数寄屋橋公園
 関東大震災十周年となる昭和8年(1933) に震災復興記念として設置したものです。
作者は、北村西望 (1884-1987)
炬火をかかげる兜をかぶった力強い体つきの青年が獅子を従えてた姿は、復興に向けた人々の力強い様子を表しているかのようです。
台座には、「不意の地震に不断の用意」の西望自筆銘板がつけられています。